ヴルカヌス・イン・ヨーロッパプログラム
日本人学生対象
伊勢 岳起
ヴルカヌス・イン・ヨーロッパ2017年度派遣
語学研修: フランス語(ルーアン, フランス)
企業研修: Plastic Omnium Auto Inergy Services (フランス)
応募当時、基幹理工学研究科 電子物理システム学専攻 在籍
現在の所属先: 株式会社ティアフォー 技術本部
はじめに
 ヴルカヌス・イン・ヨーロッパ(以下VinE) 2017年度派遣生としてフランスのTier 1自動車部品メーカー PLASTIC OMNIUMで企業研修をさせていただきました。 プログラム修了後、一年間の大学院生活を経て自動車部品サプライヤーに就職。現在は転職して自動運転ソフトウェア開発企業で自動運転バスの評価を担当しています。 評価・検証というVinEの企業研修で取り組んでいた内容に近い業務をこなしていると、フランスでの日々が頭をよぎることもあります。
 私は修士一年生の時にVinEに申し込みました。当時の私は、電子デバイス系の研究室に所属してドローンについて研究している、特に尖ったスキルのない、 ただ電気電子と情報について広く浅く知っている、そんな一人の学生でした。 VinEの話は2年前から知っていたのですが、旅行に行っても3日ぐらいで自宅に帰りたくなる性格なので躊躇していました。 ですが学生生活を終える前に「海外経験をしておいたほうがいい気がする」という安直な動機で申し込むことにしました。正直な結果を伝えますと、渡欧1週間後から帰国直前までずっと”日本に帰りたいな”と思いつづけていました。よって結局辛かっという事実がそこにあるわけですが、刺激のある環境に身を置くという挑戦をして本当に良かったと実感していますし、この経験が今のキャリア、パーソナリティの土台となっていることも事実です。なのでもしこの体験談を読む人にVinEに申し込むか迷っている方がいれば、とりあえずでいいのでアプライしてほしいです。参加している内に「なぜこのプログラムに参加しているのか」、「このプログラムを今後どう活かすのか」について嫌というほど悩むことになるので、どんな動機でも大丈夫です。
語学研修
 プログラムはブリュッセルでの初期研修から始まりました。数日間EUについての勉強や空き時間でのブリュッセル観光を楽しんだ後、フランス北部ノルマンディー地方のルーアンに移動すると語学研修の始まりです。4ヶ月間一つのことだけを勉強するというのはなかなか貴重な経験だと思い、渡航まで半年間数字と挨拶、基本的な文法を勉強して万全の体制で、最初のクラス分けの面談に望みました。Bonjour! 以外何を言っているかわからず、語学学習の厚い壁を肌で感じました。 しかしながらフランス語は英語に似ているところが多く、1ヶ月ぐらい経つとある程度読めてきます。徐々に周りの学生ともなんとか会話できるようになり、一日中フランス語だけでコミュニケーションを取るということも増えていきました。語学学校には軍人や難民など、学生に限らない様々なバックグラウンドや年齢層の人がいて、彼らとの交流も一つの楽しみでした。
 中級クラスに上がり、市民サービスについて調べたり、法制度についてのディベートをするようになると、徐々に手持ちの単語数が足りなくなり、伸び悩む時期が来ます。クラスメートとは英語でもコミュニケーションが取れてしまうので、モチベーションを保つのも難しくなります。そういう時は、他のVinEのメンバーや語学学校の友達を訪ねることで気分転換をしていました。こういう部分にも、個人でする留学とは違うVinEの良さがあります。帰国してからしばらくフランス語から離れてしまいましたが、一つの言葉、国の文化を4ヶ月間全力で勉強したという経験は3年経った今も印象強く残っています。ちなみに最近DELF B2(フランスの大学の一般過程に入学できるレベル)の資格試験を再開しました。試験勉強にはこのときのノートが役立っています。


語学学校の友達と登ったルーアンの丘
企業研修


コンピエーニュの朝市
なくなる仕事、暇とプレッシャー
  企業研修ではディーゼルエンジンの排ガス処理システムを開発する部署に配属されました。最初の数週間は製品についてのe-learningをもくもくと受講し、製品知識(と製品に関するテクニカルターム)を身につけることに注力しました。その後あるセンサーのテスト方法検討に関わるようになり、再びもくもくとセンサーの勉強をする日々が始まりました。勉強ばかりなので楽かと思いきや、新しいことを外国語で学ぶことは時間がかかる上にメンターは忙しく、成果が現れない日が続きます。さらには時間をかけてフランス語の論文を読み、知識をつけて評価にとりかかろうとしたところで、実験が中止になってしまいました。結果として、引き継ぎ資料を作成した段階で担当プロジェクトが終わってしまいました。 手持ちの仕事が急になくなり、「何もしなくても会社で平穏に過ごせてしまう」期間が訪れたのです。 自分で仕事を取りにいく必要があるが、何の仕事ができるのか周りから理解されていないため、任せてもらえないという状況は初めてでした。オフィスで1人社内の勉強資料を読んだり、仕事を探してラボをうろつく日々が続き、このままのんびりしていると来年はこのVinEのポストが無くなるのではないかとも考える様になりました。今までの人生で一番、自分は何ができるのか考えた時期でした。最終的に、自分が考えていること、出来ることをチームメンバーとディスカッションし、センサー評価の自動化ツールを作成という、自分の物理と情報のバックグラウンドを使えるタスクを見つけ、仕事にありつくことができました。この”仕事のできない日本人と思われたくない”というプレッシャーと、自分のスキル・知識の限界に挟まれた日々は、企業研修中の最もつらい期間でした。その後は日本語を喋れるという自分価値を生かせる仕事をしようと思い、日系企業関連のタスクを回してもらうようメンターにお願いしました。結果として、とあるセンサー企業とのインターフェースとして、テスト計画や項目の検討、テストに関するシミュレーションを任せてもらい、自分で納得できる結果を残せたと思います。 この自分の技術者としての未熟さと、それをカバーする他のスキルについて考えるという経験はこれからも役立っていくでしょう。

ヴルカヌス修了時にメンターとともに


時々同僚と室内サーキットを走っていました。
おわりに
 プログラムの要項には”8ヶ月の企業研修”と簡潔に書いてありますが、これには1人の外国人労働者(技術者)になる経験と言い換えられます。 お膳立てされたインターンをこなすだけでなく、家を探したり、行政手続きのために役所で揉めたり、素敵なクリスマスマーケットに行ったりと仕事以外のイベントも盛り沢山な研修です。  “奇妙な”という形容詞 ”etrange” から派生した外国人、 “L’etrange” という存在で、限られたスキルを武器に技術者として働く経験は何にも代えがたく、この1人の外国人技術者として働く経験は、日本にいる外国人技術者を慮るエッセンスとなり、人を日本-海外の良いインターフェースに変えていきます。 こういった機会を学生に与えてくれるプログラムがこれからも続いて行くことを願うと同時に、いつかはサポートする立場になりたいと思います。
(2020年 執筆)

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